YukunP’s diary

古すぎる「定年」のイメージを変えたい! 今の定年は違うんです

定年後に何をすればいいかわからないというのは人間の中身が空っぽだから

【名著】幸福について|ショーペンハウアー 今、人生がシンドイあなたへ(アバタロー)より

ショーペンハウアーは晩年まで評価されず、63歳の時に発表した「余禄と補遺」で脚光を浴びました。「幸福について」はこの中にあります。

自信を持って世に出した著書「意志と表象としての世界」は専門家向けのわかりにくいものであったのに対し、「余禄と補遺」はそれを一般向けにわかりやすくエッセイ風に書いたもので、ベストセラーになったそうです。


彼は幸福を次のように分析しています。

運勢(つまり幸福度)に差を生じさせるものは3つある。
第一に、その人は何者であるか、つまり品性、人柄、人間性(健康、美、徳、知性)
第二に、その人は何を持っているか、つまり所有物(家、車、資産)
第三に、その人はどんな印象を与えるか、つまり他者評価(名誉、地位、名声)


そして、重要なのは一番目であり、これに力を注ぐべきであって、二番目の所有物をどんなに増やしても幸福にはならないと主張しています。

「いったい世の中には、不幸な金持ちがどれだけいることだろう。彼らの多くは余った時間を浪費や贅沢に当てたがる」
「なぜそんなことをするかと言えば、これまでの人生において教養の獲得を後回しにし内面を磨いてこなかったからである」
「知的な暇つぶしで精神的な満足が得られないと、人間は生理的な欲求といった低次元の欲求を満たす以外なくなってしまう」
「こういった救いがたい事例がなぜ起こるかと言えば、その根本原因は退屈にある」

「精神の貧しさが耐えがたいほどの退屈を呼び起こすのである」
「世の多くの人は教養の獲得を軽んじ、富を得ることばかりに執着している」
「すでに持っている富をもっと増やしてやろうと、自分に休みを与えず、朝から晩まで、蟻のように働いている」
「そんな暮らしを続けていれば、富の増やし方以外何も知らず精神が空っぽで知的な楽しみを一切受け付けない人間になってしまうだろう」

つまり、
・不幸な金持ちは、教養の獲得をせず精神が貧しい。
・ゆえに、知的な楽しみを受け付けず、退屈になる。
・そして、生理的な欲求といった低次元の欲求を満たす以外なくなってしまう。
・あるいは、すでに持っている富をもっと増やしてやろうと蟻のように働く。

こういった古典の中での金持ちに対する評価は、現代の多くの小金持ち、さらには十分な退職金と年金をもらっているシニアや、FIREした人にも当てはまると思います。


三番目の他者評価については、内面が空っぽで頼るものがないから他者評価に頼ってしまうのだと切り捨てています。

「自分がどうありたいかよりも、他人からどう思われたいかを気にしてしまう人は、おそらく、本来頼るべき自分自身の内面の資源がそれだけ枯渇しているということなのだ」
「我々は名声を得ることに執着するのではなく、名声に値する者になろうと考えをあらためるべきである」

 

また、自己理解の大切さを説いています。

「生きていくうえで何よりも大切なことは、自分自身をよく理解しておくことだ。」
「こういった自己理解が、人間に勇気を与え、現在しなければならない活動へと駆り立てるのである」

つまり、自己理解をすることで本当にやるべきことに集中できるということです。

 

さらに、幸福になるためには何かを成し遂げることが必要だと説いています。

「つまり人間が幸福になるためには、何かをする、何かを成し遂げる、あるいは何かを学ぶといった活動が欠かせないということだ」
「我々は、自分の持っている能力を活用してほしいとか、その能力で何かを成し遂げたいと、常に願っているものだ」
「もしあなたの中にそういった気持ちが少しでもあるのなら、この点において最大の満足が得られる方法を教えよう」
「それは、自らの手で何かを作り上げるということだ」
「かごでもいい、本でもいい、あなた自身で、何かを仕上げてみるといいだろう」
「あるひとつの作品が自分の手によって日々成長し、ついに完成した姿をみると、我々はそこに強烈な感動と幸福を覚えるのである」
「だからわたしは、それぞれの人が、それぞれの能力にしたがって何らかの活動に励むべきだと考えている」
「人間は自分の力を持て余しながら生きていると、ひどく不幸な気持ちに襲われるものだ」

「人間もあれこれ骨を折り、試行錯誤せずにはいられないのだ」
「行動する際の物理的な障害であれ、学習や研究における精神的な障害であれ、人間はある一定のハードルを乗り越えながら、生きる喜びを獲得し、幸せになっていくのである」

 

我々が幸福になるためにすべきことは、
・教養を獲得し内面を磨く
・十分なお金があるなら、お金のためにたくさん働かない
・他者からよく思われたいと考えず、品性、人柄、人間性に力を注ぐ
・何かをする、何かを成し遂げる、何かを学ぶ、何かを作り上げる、といった活動をする
といったことになるでしょうか。

 

定年後に何をやっていいかわからない、富をもっと増やしてやろうと蟻のように働く、というのは精神が貧しいからということがわかりました。

シニアは時間がたっぷりあるのだから、今からでも教養の獲得に集中すべきです。

そしてお金が十分あるなら、他者評価のために働くべきではありません。