YukunP’s diary

古すぎる「定年」のイメージを変えたい! 今の定年は違うんです

森永卓郎氏の「年金は60歳からもらえ」という本について

森永卓郎氏は、「年金は60歳からもらえ」という本を2012年に出しています。
年金は60歳からもらえ 繰り上げ受給は、デフレ時代の賢い選択

森永氏は1957年生まれなので55歳のときです。
彼自身はおそらく63歳から報酬比例部分をもらえます。

2012年は東日本大震災の1年後、民主党政権、デフレの真っただ中、でした。

たとえば三年後に法律改正が行われ、支給開始年齢が六八歳まで延長され、さらに給付額の削減まで行われたとしよう。それではたまらないと繰り上げ受給しても、あなたは削減された本来の受給額をさらに減額した年金しか受け取れなくなる。六〇歳から繰り上げ受給している同年齢の人に比べて損失額も大きくなる。「もっと早くから繰り上げ受給していればよかった」と悔やむことになるのは間違いないだろう。(内容紹介より)

これは突然、支給開始年齢が先延ばしされ、かつ減額され、それがさかのぼって適用されると、5年繰り上げて受給した人が大きく得をするという話です。

当時も現在でも60歳から65歳への先延ばしの最中であり、途中でさらに68歳まで先延ばしするのはあり得ない話です。

結局これは起こらなかったし、国は繰り上げ受給者が得をする状況を作ることはないと思います。

 

元気なときにお金を使ってこそ価値がある。同じ10万円でも、60歳に使う場合と70歳で使う場合では価値が違う。(内容紹介より)

これはその通りですが、60代が楽しければいいというキリギリス的な考え方です。


森永氏は今67歳くらいなので、もし彼が自身の言う通りに60歳から年金を受け取っているとすると、健康の状況を考えると彼自身については今のところは結果的に正しかったことになります。

しかしこれが万人に当てはまるわけではありません。
長生きしないのがほぼ確定しているなら繰り上げ受給のほうがよさそうですが、
年金額が少なく、資産も少ない人が、働けなくなり、さらにその状態から死ぬまでの期間が長く、長い間お金で苦しむリスクを考えると、年金はできるだけ取っておくべきでしょう。

 

多くの高齢YouTuberが年金は繰り上げ受給がいいと主張しています

「繰り上げ派」というらしいです。

【年金】繰上げ受給の効果3つ。繰上げ0.4%は問題ないし、年金総額は変わらない。安定収入、自由時間、老後は収入を減らすのが税金面、健康保険面で有利。(年金暮らし70)

年金の繰り上げ受給を62歳で決めた3つの理由 / 62歳年金一人暮らし(ソロシニアライフ)

61歳7ヶ月で年金の繰り上げ受給(としさん)


これらの主張をまとめると、
・いつ何があるかわからない(急に死んでしまうかもしれない)
・だから損益分岐点を越えて長生きできないと確信している(健康に問題がある?)
・それなら繰り上げがお得
健康寿命は72歳であり、60代を有意義に過ごすためにも繰り上げで年金をもらうべき
・目先のお金が欲しい
・繰り上げて住民税非課税になれば社会保険と税金が安くなり、給付金ももらえる
といったところでしょうか。


これはひとつの考え方ではあると思います。
60歳から繰り上げ受給すると24%減額されますが、安定した収入を得られます。
さらに働き、足りない分を貯金から補填すれば、生活レベルを上げることもできます。
住民税非課税になれば、社会保険と税金の負担が減り給付金も期待できます。
60代はこれで楽で充実した生活を送れるかもしれません。


しかし予想通りに健康寿命が70代前半で尽きたとして、その後すぐ死ぬとは限らず、不健康な状態で長生きするかもしれません。
70代で働けなくなれば一気に困窮します。
貯金がなくなれば減額された年金だけでの生活になります。
インフレが定着し、年金額が増えたら住民税非課税でなくなるかもしれません。


YouTubeで検索すると、年金は繰り上げ受給すべきと主張している動画がいくつも出てきます。
それぞれ当事者の体験談でもあり、説得力があります。
これに影響されて繰り上げする人が増えるかもしれません。


繰り上げ受給はいいアイデアに見えますが、将来の生活困窮リスクを高めています。
年金が少ない人ほど繰り下げて増やした方がよく、年金だけで収支を合わせられるようにしてリスクを低くするべきです。


年金も貯金も少ないというのは、いつ何があるかわからないと目先ばかりを考えて将来を考えなかった結果だというのもあると思います。
年金受給の判断の際にも同じ行動をとるなら、その結果は同じように苦しいものになってしまうでしょう。

 

特別支給の老齢厚生年金の請求から受給までのプロセス 2024年版

1959年4月2日生まれから1961年4月1日生まれまでの男性は、特別支給の老齢厚生年金が64歳の1年間だけ受け取れます。


まず、請求用紙が誕生日の約3か月前に送られてきました。
すぐに申し込もうと思いましたが、「64歳の誕生日の前日以降に提出が可能となります」とあり、すぐには申し込めず、3か月間待たなければなりませんでした。

年金請求書は紙で提出します。
マイナンバーを書き、公金受取口座が設定してあれば、住民票と預金通帳のコピーはいらなくなります。
配偶者がいる場合は、配偶者のマイナンバーを書けば、世帯全員の住民票と配偶者の年金手帳のコピー、配偶者の所得証明書はいらなくなります。
しかし、配偶者がいることを証明するために戸籍抄本が必要です。戸籍抄本は誕生日前日以降に取得する必要があるため、早めに提出することはできません。
そして、雇用継続給付金を受け取っているため、その支給決定通知書のコピーが必要です。

この状況を見る限り、戸籍と雇用保険については連携していないようです。
戸籍抄本はコンビニで取ったので、オンラインにはなっているけれども連携はまだということなのでしょう。


年金請求書を郵送したら、1か月くらいして請求書の受付控えが送付されてきました。

そして、そのすぐあとに年金証書が送付されてきました。
・株券みたいな体裁
厚生労働大臣名でハンコが押されている
・特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分のみ)の年間の年金額が書かれている

正直こんな大げさな年金証書は不要だと思います。


最後にはがきで今回と次回の振込額が書いてある年金振込通知書が送られてきました。
会社勤めなので、介護保険料、所得税、住民税は年金からは控除されず、年金額がそのまま振り込まれます。
雇用継続給付の受給による年金減額はまだありません。給付金の金額が確定したあとに遅れて減額されるものと思われます。


現時点ではオンライン申請はできませんが、あと何年かしたらは紙とオンラインのどちらかを選んで年金請求をする形になるのでしょう。

 

e-Taxで税金が安くなる(かもしれない)メリット

e-Taxで確定申告(還付申告)をすると、
・混んでいる税務署に行かなくていい
・1月末に申告が終わり、2月中旬に還付金が振り込まれる
というメリットがありますが、
実はそれ以外に、税金が安くなる(かもしれない)メリットもあります。


まず、所得税額を正しく計算してくれます。
自分で計算すると間違って過少申告する可能性があり、これを防いでくれます。
それだけでなく、過大申告の可能性もあるので、これも防いでくれます。

過去に株式の譲渡所得を総合課税で申告したら自動で他の税額のマイナス分と相殺してくれ、税金が安くなりました。
手書きで申告したらこうはならなかったと思います。

また、どうすれば税金がお得か教えてくれます。
もちろん「こうした方が税金を減らせますよ」とは決して教えてくれません。
メッセージが表示されるので、それをうまく読み取って申告方法を変えることで、税金を最小化できます。

「株式の損益通算をすると、総合課税で申告することになり、住民税も同じです」
⇒だから住民税を申告分離課税にして節税するためには別途区役所への住民税の申告が必要で、そうしないと住民税が安くならない(昨年度までの話)

「控除される税額は〇万円です」(総合課税で所得を合算したため控除額が減る)
⇒だから分離課税で申告する方がいい


金額は数万円ほどになることがあるので、IT環境を整えて、頑張って表示される文章を読みこなし、丸一日くらいをかける価値は十分にあると思います。

 

「リタイア後も社会との接点を持ち続けることが重要です」を疑う

「リタイア後も社会との接点を持ち続けることが重要」かどうかをネットで調べてみると、真逆の2種類の意見があることが分かります。


リタイア後に社会的つながりを保つにはどうしたらいいか(リクルート)
【東大講師による提案】
「地域社会から孤立せず、幸せと健康を保って老いるにはどうしたらよいのか。」という課題に対しては、「地域で働くこと」がよい


定年後の社会との接点の確保(マイベストプロ)
【50代で独立した行政書士の意見】
社会との接点=居場所を持つということ
多くの異なる居場所を持つことは、それぞれの分野でしか味わえない、知ることが出来ないような貴重な経験や、出会うことのなかったような人脈を見出せます。
居場所を持つことは、生きる意義というよりも心身の健康の為でもあり、社会との接点を持つことで好奇心や関心、注意力を維持・拡大させることが出来ます。


65歳定年後も輝く人とダメになる人の致命的差(東洋経済ONLINE)
【FPの意見】
定年後も働くことで生きがいを持つことができ、健康になって、お金の余裕ができる。
仕事は、社会との接点ややりがいへとつながっていく。


FIRE卒業? 早期リタイアを中断した人が求める「働きがい」や「人とのつながり」の価値(フィデリティ投信)
【40代?のFPの意見】
仕事で得られる人とのつながりや働きがいは、お金には変えられない大きな財産でもある

 

リタイア生活に社会との関わりは必要なのか(Saunterer Reports)
【リタイアした50代の意見】
わたしにはこの「社会との接点を持ちたい」という気持ちがわかりません。
もともと独りでいることを好んで生活してきたこともあり、むしろそれほど親しくもない人々と接することがストレスだったりするので、社会との接点がなくなって快適なのです。こういう性格がリタイア向きだったのかもしれません。


アーリーリタイア者からみた”勘弁してほしい3つの言葉”(50代からの東京アーリーリタイア生活)
【50代でリタイアした人の意見】
仕事をしていたころ「社会と接点を持っている!」という感覚を持ったことがありません。
仕事以外の平日夜や週末も、趣味のスポーツで人と交流がありましたし、株や不動産投資でなにかと情報収集をします。投資活動を通じて社会貢献の一部にもなっていると感じます。
リタイアすることで「社会との接点がなくなる」というのはよく理解できない言葉です。

 

アーリー・リタイアすると社会との接点がなくなる?(米国株投資実践日記)
【50代でリタイアした人の意見】
社会との接点が絶えてしまうのは、会社以外の人間と交流をしてこなかったことや、仕事以外に関心がないことなど「自分」に理由があると考えます。


セミリタイア生活と社会の接点(いけるか!?40代後半からのセミリタイア生活)
【40代でセミリタイアした人による分析】
投資をすることで「社会」との繋がりを確認している
世の中の動きを見に行くことで、「社会に参加している感」が得られる


セミリタイアすると社会との接点が無くなる?(キムのセミリタイア日記)
【30代でセミリタイアした人の意見】
別に働くことだけが、社会との接点ではなくね?
社会全体の空気感、トレンド、常識とかは別に働いていなくても、全然把握できます。
実際セミリタイアして働いていないことで、社会から浮世離れしてしまい、人と感覚や話題、常識が合わずにギャップを感じることはありません。


つまり、
老年社会科学の研究者、フリーでバリバリ仕事をしているFPなどの意見は、

・働くことで孤立せず、幸せと健康を保てる
・働くことで経験、人脈、生きる意義、心身の健康を得られる

であり、働くことでいろいろな問題を解決できる、という考え方です。

一方、アーリーリタイアした人の意見は、

・働くことだけではなく、投資や趣味も社会との接点である
・仕事が「社会との接点」とは思わない人もいる
・ひとりが好き、むしろ社会との接点がなくなって快適、という性格の人もいる

であり、働かなくても問題なくやっていける、むしろ働かないほうが快適、という考え方です。


リタイア後も社会との接点を持ち続けることが重要かどうかは、自分が上の2つのどちらに当てはまるかを考えればいいと思います。

仕事を生きがいと考える人であれば、アルバイトでも、ボランティアでも、地域の役員でも、やることを頑張って探してそれに打ち込めばいいでしょう。

一方、仕事をしたくない、働きたくないなら、働かないほうがよく、孤立、幸せ、健康などの問題は働くこと以外の方法で解決すればいいのです。

 

「社会との接点」とは何か

高齢者や老後について調べていると「社会との接点」という言葉が出てきます。

例えば、

「定年退職後、社会との接点がなくなり、精神的なフレイルから身体的なフレイルに陥ることがよくあります。だから短時間の仕事をすることで社会との接点を保つようにしましょう。」

というような文章で使われます。

「社会との接点」を検索すると、

1.大学生への就職のアドバイスの中で、社会との接点を持つことが大事だと説き、例としてインターンなどを通じて早めに会社に関わることを挙げている。

2.出産した女性に対して、仕事にフルに復帰することが再び社会との接点を持つことだとしている。

つまり、働くこと、稼ぐこと、職場で人間関係を構築すること、仕事で活躍すること、が社会との接点ということになっているようです。


でもこれだと専業主婦やリタイア高齢者は社会との接点がないということになってしまいます。
仕事以外にも地域とか、小さなグループとか、今ならネットだけのつながりも社会の接点と言えるのではないでしょうか。


そういう疑問を持っている人は少なくないようです。

狭くなりすぎた「社会との接点」:社会とのつながり、どこに感じる?(関屋裕希 公式サイト)

「働く」ことが社会の接点であるがゆえに、子育てのために仕事を辞めたり、定年退職後に孤独を感じたり、自分の価値がなくなったように感じて、メンタルヘルス不調になるケースもある。
そこで疑問が浮かんだ。
産んで育てることって、本来は「ヒトの社会」につながっているはずではないか。
お母さんたちは、子育てをしていて、孤独を感じるのではなく、「社会とのつながり」をむしろ 感じられるのが自然じゃないのか。
なぜ今そうなっていないのか。
私たちの社会との接点や社会的承認の「社会」って随分と、「働くこと」や会社組織に狭められてしまっているのかもしれない。

Yahoo!知恵袋にも同じ疑問があります。

社会との接点を持ちたいからずっと働きたいという人がいるのですが、会社を辞めると社会との接点がなくなるのですか?


つまり、
・「社会との接点」という言葉は、一般的に会社で働くこととして使われている
・学生、子育て主婦、リタイア高齢者は働いていないので社会との接点がないことになる
・「社会との接点」に明確な定義はなく、本来はもっと広い意味があるのではないか、と問題提起されている。

ということでしょうか。かなり意味があいまいな言葉のようです。

 

定年後は暇なのか暇でないのか、お金が心配なのか心配ないのか、どっち?

「定年は意外と楽しい」 脱・カイシャが促すひとり消費(日本経済新聞)

だいたいこんな内容です。

・現役中はリタイア後のお金や退屈の不安を持つが、実際にリタイアしてみると自由な消費を謳歌できる場合が多い
・会社への帰属意識が「団塊の世代」より若い世代は変わってきている
・「ぬれ落ち葉」は今は死語になっている
・日本は「超・個人主義」に変わっているかもしれない
・50代から年齢が下がるにつれて、ひとりの時間、趣味、遊びを求める傾向が強まっている
団塊ジュニアは今年に全員が50歳を迎える
・彼らは会社と距離を置き、個人として消費を動かす


日経はこれまで、お金と退屈の不安を煽り、人生100年時代に備えるためには働き続けて毎月数万円(低時給)の収入を得るべきだ、と主張してきました。
それなのに、この記事はリタイアしてたくさん消費すべきだとしています。
どっちが正しいのでしょうか。

おそらく両方とも正しいのでしょう。
労働力が欲しい経営者に受ける記事を書くときは「生涯現役でもっと働こう」、
物を売りたい経営者に受ける記事を書くときは「もっと消費しよう」、
ということなのでしょう。

日経ばかりではないですが、記事を読む際は、記者のポジションをよく考えて読む必要がありそうです。