YukunP’s diary

古すぎる「定年」のイメージを変えたい! 今の定年は違うんです

「社会との接点」とは何か

高齢者や老後について調べていると「社会との接点」という言葉が出てきます。

例えば、

「定年退職後、社会との接点がなくなり、精神的なフレイルから身体的なフレイルに陥ることがよくあります。だから短時間の仕事をすることで社会との接点を保つようにしましょう。」

というような文章で使われます。

「社会との接点」を検索すると、

1.大学生への就職のアドバイスの中で、社会との接点を持つことが大事だと説き、例としてインターンなどを通じて早めに会社に関わることを挙げている。

2.出産した女性に対して、仕事にフルに復帰することが再び社会との接点を持つことだとしている。

つまり、働くこと、稼ぐこと、職場で人間関係を構築すること、仕事で活躍すること、が社会との接点ということになっているようです。


でもこれだと専業主婦やリタイア高齢者は社会との接点がないということになってしまいます。
仕事以外にも地域とか、小さなグループとか、今ならネットだけのつながりも社会の接点と言えるのではないでしょうか。


そういう疑問を持っている人は少なくないようです。

狭くなりすぎた「社会との接点」:社会とのつながり、どこに感じる?(関屋裕希 公式サイト)

「働く」ことが社会の接点であるがゆえに、子育てのために仕事を辞めたり、定年退職後に孤独を感じたり、自分の価値がなくなったように感じて、メンタルヘルス不調になるケースもある。
そこで疑問が浮かんだ。
産んで育てることって、本来は「ヒトの社会」につながっているはずではないか。
お母さんたちは、子育てをしていて、孤独を感じるのではなく、「社会とのつながり」をむしろ 感じられるのが自然じゃないのか。
なぜ今そうなっていないのか。
私たちの社会との接点や社会的承認の「社会」って随分と、「働くこと」や会社組織に狭められてしまっているのかもしれない。

Yahoo!知恵袋にも同じ疑問があります。

社会との接点を持ちたいからずっと働きたいという人がいるのですが、会社を辞めると社会との接点がなくなるのですか?


つまり、
・「社会との接点」という言葉は、一般的に会社で働くこととして使われている
・学生、子育て主婦、リタイア高齢者は働いていないので社会との接点がないことになる
・「社会との接点」に明確な定義はなく、本来はもっと広い意味があるのではないか、と問題提起されている。

ということでしょうか。かなり意味があいまいな言葉のようです。